『どうせ自分なんて』って思う夜に。

『どうせ自分なんて』って思う夜に。

なんでもないふりをして過ごした日。

笑ってたつもりなのに、夜になると、心の奥がじんわり痛くなる。

誰かに言われたわけじゃない。責められたわけでもない。

それでも、ふと出てくる。

「どうせ、自分なんて……」


言葉に出さなくても、心がつぶやいている

SNSを眺めながら、何も感じないふりをする。

誰かの楽しそうな投稿。恋人とのツーショット。仕事の成功報告。

「すごいな」「いいな」って言いながら、画面をそっと閉じる。

そのあとに残るのは、どこにも届かない、もやもやした虚しさ。

上司のちょっとした一言。

LINEの返事がそっけなかった時。

「やっぱり、自分なんて…」
気づけば、そう思ってしまう夜がある。


「どうせ自分なんて」が口癖になった理由

たとえば、子どもの頃。

がんばって描いた絵を見せたのに、親に「もっと丁寧に描けるでしょ」と言われた。

通知表の点数より、「なんでこの教科は悪いの?」と聞かれた。

褒められるより先に、指摘されることが多かった。

そこから、何かを始める前に、自分にブレーキをかけるようになった。

「期待されるとプレッシャーになる」
「期待されない方が楽」

そんなふうに思って、“自分で自分を否定するクセ”が、いつの間にか身についた。

それは大人になってからも変わらない。

人間関係でちょっと気まずくなるだけで、

返信が遅れるだけで、

「自分が悪い」「嫌われたに違いない」と心が勝手に結論を出してくる。


恋愛でも、仕事でも、「自分が足りない」が前提になる

好きな人に素直になれなかったり、

仕事で何か頼まれた時に「自分なんかで大丈夫ですか?」って口にしてしまったり。

それは遠慮じゃなくて、自分への信頼が育ってない証拠。

本当はやってみたい。伝えたい。近づきたい。

でも失敗が怖い。相手に拒否されるのが怖い。

だから、「どうせ自分なんて…」って言葉を盾にして、
心を守ろうとしてしまう。

責めてるようで、守ってる。
でもそれが、もっと深く自分を傷つけている。


「どうせ」は、“誰かにわかってほしかった”の裏返し

「どうせ」って言いたくなるとき、

本当は、“誰かにわかってほしい気持ち”があったはず。

頑張ってるのに伝わらなかったとき。

気づいてほしいのに、誰にも気づいてもらえなかったとき。

何も言わなくても、見ててほしかった。

だけどそれが叶わなかったから、

「どうせ、自分なんて」と結論づけてしまう。

あきらめの言葉に変えて、心の奥をしまい込む。


あなたはちゃんと、ここまで来てる

でもね。

「どうせ自分なんて」って思いながらも、

あなたはちゃんと今日を乗り切った。

逃げ出さずに、誰かと関わって、

自分なりに考えて、傷つきながらも動いてきた。

それって、ほんとうにすごいこと。

誰も言ってくれないかもしれないけど、

それだけで、十分に価値がある。


まとめ:自分を否定したあとに、ちゃんと肯定して

自己否定は、“心のくせ”だから、完全にはなくならない。

でも、そのあとに自分でフォローしてあげることはできる。

「また責めちゃったな」
「でも、ちゃんと今日を終えようとしてる自分、えらいよ」

そうやって、少しずつ“自分とつながる力”を育てていけばいい。

寂しくても、情けなくても、

今日の自分をちゃんと認める。

それができたとき、
「どうせ自分なんて」は、少しずつ離れていく。