「“いい人”ほど信頼されない理由。人が心を預けたくなるのは、どんな人か?」

“いい人”ほど信頼されない理由。
人が心を預けたくなるのは、どんな人か?

「あの人、いい人なんだけど…なぜか距離を感じる」

誰にでも優しくて、気も遣えて、感じも悪くない。

でも、ふとこんなことを思ったことはないだろうか?

──「いい人なんだけど、なんか“預けたくはない”」

信頼されたい。嫌われたくない。
その気持ちが強くなるほど、人は「無難な対応」を選びやすくなる。

でも実は、それこそが“信頼されにくい人”の第一歩なのかもしれない。


気を遣いすぎる人が、なぜ信頼されないのか

たとえばこんなシーン。

職場で、「この件どう思った?」と同僚に聞いたとき、

「うーん…どっちの気持ちも分かりますよね。私は特にないかな」

と返されたとき、表面上は柔らかいけど、本音が見えないことで逆に距離を感じたりしない?

本人は気を遣ってるつもりでも、

・常に相手に合わせる
・否定も批判もしない
・何を言っても「そうですよね」で返してくる

そういう人は、「共感されてる感じ」はあっても、「信頼していい」とは思われにくい

なぜなら、“自分”が見えないから。


「そうですよね」しか言わない人は、信頼されない。……それ、知ってた?

「人を否定しない」って、聞こえはいいよね。
でも、それが続くと、相手はこう感じる。

「この人、本当に何考えてるかわからない」

たとえば、どんな話を振っても、

「そうですよね〜」
「いや〜、難しいっすね」
「たしかに、どっちもありますよね」

──こんな返事ばかりしてる人、あなたの周りにもいない?
それとも、自分がそうなってない?

一見柔らかいけど、実は“何も持ってない人”って思われてる可能性、大。

そして、これはハッキリ言うけど、
「それに気づいてない人」が一番危ない。

なぜなら、本人は「無難にこなしてる」つもりだから。
でも、周囲からは“中身が空っぽな人”と見えている。

……これ、かなりヤバいよね?

何も言わない優しさより、
ぶつかる覚悟を持った“本音のひとこと”の方が、
何倍も信頼される。


人は“矛盾”の中に、本当の信頼を感じる

人って、完璧な答えよりも、
「揺れ」や「迷い」の中に“人間らしさ”を感じて安心する生き物なんだよね。

たとえば、こういう会話。

「私はこう思う。でも、あなたの立場もわかるよ」
「ほんとは傷ついた。でも、そんなふうに言わせちゃった自分もいると思う」

──その言葉にある“矛盾”や“感情の振れ幅”。

それこそが、「この人、本当にちゃんと考えてる」
っていう安心感につながる。

正しさよりも、誠実さ。
一貫性よりも、人間らしい“感情の揺れ”。


「いい人」よりも、「人間らしい人」が選ばれる

信頼される人って、何が違うんだろう?

それはたぶん、
「当たり障りのない言葉」に頼らず、自分の気持ちを言葉にしているってこと。

こんな人、いない?

「私はちょっと違うと思う。でも、言ってくれてありがとう」
「それって、私なら悲しいかも。けど、あなたの気持ちも分かる」

そういうふうに、ちゃんと“自分の目線”を持って話してくれる人。

ぶつかっても、傷ついても、「ちゃんと向き合ってくれる人」の方が、信頼されていく。

人が心を預けたくなるのは、
正解をくれる人じゃなく、
“気持ちを受け止めてくれる人”なんだと思う。


あなたは今、「共感される人」? それとも「信頼される人」?

相手に合わせすぎて、
本音を隠して“いい人”で終わってない?

嫌われないために、本心を飲み込んでばかりじゃ、
いつの間にか「空気みたいな存在」になってしまうかもしれない。

信頼は、“ズレ”から生まれることもある。
そのズレを怖がらず、自分の気持ちをちゃんと伝える人が、
最終的に選ばれる。

──じゃあ、今のあなたは、どっちだろう?